川畑明美のプロフィール
1969年 群馬県に生まれる。
独身時代に姓名判断を占ってもらったところ、
「周囲に友達がいなくても、ひとりでやっていける非常に希な性格」
という結果でした。
確かに占いの結果の通り、ひとりでドンドン行動する子どもでした。
大学受験
大学受験当時、私の両親は「女は大学なんていかなくても良い!」
なんて、男尊女卑なコト言っていました。
それが悔しくて、自分でバイトして勝手に大学受験しました。
参考書から東京までの交通費や宿泊費など、高校生にとっては大金。
正確には覚えていませんが、20万円くらい。
受けたい大学の数と受験料を調べて試算しました。
バイトを始めたばかりの頃は、
勉強できない焦りとそんなに稼げるのか?
という不安感でいっぱいでした。
「始めなければ何にもならない!頑張ろう」と、決心しやり遂げました。
やり遂げたことで、「やればできる!」という大きな自信がつき、
今後の人生に大きな影響を与えます。
また、バイトをしているので、夕方から夜は勉強ができません。
そこで、少しでも早く学校に行って授業が始まる前に受験勉強するか、
休み時間に勉強していました。
さすがに、あまり受験勉強に時間が割けなかったので、
女子短大しか合格しませんでした。
いろんな意味で、頑張っていたので、少なからずショックでした。
ただ最良の結果ではありませんが、
「時間の無いところから、時間をつくる方法」
をみつけられるようになりました。
肝心の入学金と授業料まで用意できませんので、
親に泣きつました。バイトしてまで受験しているのを見て、
なんとか学費を出してくれました。ダメだと思っていたので、すごく嬉しかったことを覚えています。
学生時代
同級生はみな、ディスコ(←まだこの時代)派だったので、誰も付き合ってくれません。
新宿ロフトのオールナイトとか、ひとりで行っていました。
※念のため言っておきますが、友達がいなかった訳ではないですよ。
興味のないものに、無理やり付き合わせるのは、悪いかと……。
当時ライブハウスでは、
ファンの女の子が独自にバンド通信みたいなビラを作って配っていました。
そのビラを見て「私もやりたいな、それを仕事にしたいな」と思いました。
就職この頃から「音楽系出版社に勤めたいなぁ〜」と考えはじめます。
就職就職活動をあまり積極的にしていませんでした。
大手出版社は、青田買いなので、普通の就職活動では無理だったからです。
ただ、通っている学校が、就職率100%
(いまでは考えられませんが、バブルの余韻があった時期だったので)
を誇る学校だったので、教授の紹介でとりあえず就職します。
紹介してくれたのが生化学の先生だったので、
バイオテクノロジー関連の研究を始めるという会社に就職。
が、高校生のころからバイト・遊び・受験勉強と何足もわらじを履いていたので、
9時5時で終わると、家でなにをして良いのやら、分かりません。
転職@
ある日、私が編集者になりたいことを知っていた友人から、
「今日の朝日新聞に出版社の募集でてるよ」と、電話が。
音楽系の出版社ではなかったのですが、急いで履歴書を購入し、郵送。
運よく、面接の案内がきました。
面接で、今の職業は?との質問。
バイオテクノロジーと言うと、カッコ良いのですが、
実際は、きのこの栽培実験がメイン。
「きのこを作っています」と話したら、面接官(実は、社長でした)は、
きのこ大好きみたいで、ずーっと、きのこ料理の話ばかり。
後日、自分で作ったきのこを送ると、
「きみ!採用だから!」ラッキー!!!
出版社では、広告営業に配属。
新人なのに、なぜか最大規模の広告代理店の担当に。
朝9:30から夜中の0時まで、分刻みの過密スケジュール。
ここで、高校時代の「時間が無いところから時間を作る方法」が役立ちました。
そして、新人にして売上No1営業マンになりました。
その後、編集部へ異動。
担当した雑誌もメキメキ部数を伸ばします。
高校時代に得た自信が、ここで開花しました。
一見すると出世街道まっしぐら!ですが、ホント仕事ばかり。
ふと気が付くと、三十路。
仕事は成功しても、人間として幸せなのか?と考えた時期でした。
転職A
10年くらい勤めたところで、めでたく結婚の話が。
寿退社し、規模の小さい出版社へ転職。
子宝に恵まれ、仕事も続けようと思っていたのですが、
辞めて欲しいと言われてしまいました。
残念には思ったのですが、仕事だけの人生に疑問がありましたし、
初めての出産でもあったので、潔く辞めました。
が、またもや子育てだけでは時間をもてあまし、就職活動。
しかし、子どもがいると、いうだけで、どこも採用してくれません。
どうにか入った会社は、待遇がすごく悪く「やってられん!」状態。
知り合いのつてで、またもや転職。
編集魂がフツフツと
多くを望まなければ、良い会社と思います。
でも、どうしても、編集魂が…。情報を発信したい!
の欲求が高まっています。
そして、いま最も興味があるのが教育費なのです。
高校時代にお金で苦労したので、子どもには勉強に徹してもらいたい。
しかも、大学全入学時代です。私のころよりも学校暦は重視されるハズ。
具体的な教育資金運用法をいろいろ本やwebで調べていますが、
教育費は安全性の高い金融商品で…
とか、積立貯蓄をしましょうとか、具体的な商品はでてきません。
しかし、読者からすると具体的な金融商品知りたいですよね。
仲が良くても、お金の話はナカナカできないものだし。
でも、聞いてみたいお隣の資産運用方法。
そこで、川畑の資産運用方法をメールマガジンで公開することにしました。
「時間がないところから、時間をつくる」精神で独自に考えた
「お金がないところから、お金をつくる」を実践しているつもりです。
でも、爪に火をともしてつくるお金は、つらいと考えています。
もちろん、失敗しました。それも勉強です。
自分で調べたりした情報と、
実践している運用商品や節税法をメールマガジンやブログで公開しています。
ファイナンシャル・プランナーとして独立
2012年2月に3級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)
を取得しました。
私、ファイナンシャル・プランナー(FP)で好きになれた方がいなかったのです。
いままで相談した、どの答えも納得できないものばかりでした。
中には
「教育費は貯金を中心に。投資信託はMRFまで」と言う方もいて
そんな運用ではお金持ちしか、私立に行けない!
と、思ったり。
さんざん探して投資は必要です、と言うFPに相談に行ったら
「投資信託は、ご意見を伺い弊社で全て管理運営します」
と、言われたり。
私は、自分で投資ができるようになりたかったのです。
だって、全てFPに任せていたら
一生そのFPにお任せしなくてはなりません。
ですから私は、FPに好感がもてませんでした。
ところが友人から
「じゃぁ、自分が理想のFPになったら?」
と諭されたのです。
目からウロコと言うか、そんな風に考えたことがなかったので
その言葉がずっと頭から離れなくなりました。
私の理想は、
・自ら家計の管理ができるように指導します。
・失敗しない投資方法を教えます。
・投資力がアップしてきたら、さらに上を目指せるように
アドバイスします。
相談いただいた方自身が、このように変われることが目的です。
私と一緒に走りましょう!
すこしでも、皆様のお役にたてれば幸いです。
●栄養士免許(旧姓)と2級ファイナンシャル技能士の合格証書です。